ボウリングのピン、なんで10本なんだろうと考えたことはありますか? 8本でも12本でもなく、なぜ10本で三角形なのか。
実はこれ、スポーツの進化とか、科学的な計算とか、そういう話じゃないんです。 「法律に引っかかったから、1本増やした」というトンチみたいな理由が、有力な説として残っているんです。

スポーツのルールって、もっとちゃんとした理由があると思ってた。まさか法律逃れとは…。
- ボウリングは好きだけど、ルールの由来なんて考えたことがなかった人
- 法律や規制の「抜け穴」にまつわる話が好きな人
- 雑談のネタとして即使える、ちょっとズルい豆知識がほしい人
もともとボウリングは「9本」だった
現代のボウリングの原型は、ヨーロッパで生まれた「ナインピン・ボウリング」です。 その名の通り、ピンは9本。ひし形に並べて、転がしたボールで倒すゲームでした。
これが17〜18世紀にアメリカへ渡ると、たちまち大流行します。 ただ、人気が出すぎたことで問題も起きました。 賭博の場として使われるようになり、19世紀のアメリカではナインピン・ボウリングを名指しした賭博禁止法が各地で制定されたんです。
ここで登場するのが、件のトンチです。 禁止されているのはあくまで「9本ピンのゲーム」。 ならば1本増やして10本にして、三角形に並べ直せば別のゲームになる——そういう発想で生まれたのが、現代のテンピン・ボウリングだという説が広く伝わっています。
ただし、これを証明する公式文書は現存しておらず、歴史的な「有力説」として語り継がれているものです。 それでも、9本から10本への変化がこの時代と重なるのは事実で、完全に否定する根拠もありません。
「1本増やしただけ」でスポーツが生まれた、その後の話


規制逃れかどうかはさておき、10ピンへの移行後にボウリングは爆発的に普及しました。 1895年にはアメリカボウリング協会(ABC)が設立され、ピンの配置・ボールの重さ・レーンの長さなどが正式にルール化されていきます。
この標準化こそが、ボウリングを「賭博場の遊び」から「スポーツ」へと押し上げた大きな転換点でした。 法律から逃げようとしたゲームが、結果的に世界中で楽しまれる競技になったわけです。
「ルールに追われた」はずが、ルールを整備することで本物のスポーツになった。 歴史の皮肉というか、なんというか。



逃げようとしてたのに、逃げた先でちゃんとしたスポーツになってるの、なんか好きです。
💡 ちなみに:日本にボウリングが来たのは、幕末だった
ボウリングが日本に伝わったのは1861年(文久元年)のこと。 長崎の外国人居留地に日本初のボウリング場が開設されたという記録が残っています。
その後一度は下火になりますが、1950〜60年代の高度経済成長期に再ブームが到来。 1970年代には「ボウリング狂時代」と呼ばれるほどの社会現象になりました。 レーンの予約に何時間も並ぶのが当たり前だったというのだから、今では想像もつかないですよね。
まとめ
- ボウリングはもともと9本ピンのゲームで、アメリカで賭博禁止法の対象になった
- 「1本増やして10本にすれば別ゲーム」というトンチで規制を回避したというのが有力な説(公式記録は未確認)
- その後ルールが整備され、世界的なスポーツへと発展した
- 日本へは幕末の1861年に伝わっている
次にボウリング場に行ったとき、あの三角形のピン配置が少し違って見えるかもしれません。 あれは「10本である必要があった」結果なんです。



「1本増やす」だけで歴史が変わるなら、もっといろんな問題がトンチで解決できそうな気がしてきた。…できないか。また次の「日常の裏側」でお会いしましょう。






