『本好きの下剋上〜司書になるためには手段を選んでいられません〜』を読んでいて、主人公マインが目上の人に「ありがとう存じます」と伝えるシーンに出会ったとき、ふと引っかかった人はいませんか?
「丁寧なのはわかる。でも……これ、正しい日本語なの?」
この疑問、実は日本語の敬語研究の世界でもちゃんと議論されています。
正解を先に言ってしまうと、「完全な誤りではないが、文法的にはグレーゾーン」。
そしてその理由を知ると、日本語って思っていたよりずっとふわふわした言語だということに気づきます。

『ありがとう存じます』……なんか丁寧なのはわかる。でも待って、これ文法的に大丈夫?ってなる瞬間、ありますよね。
- 『本好きの下剋上』を読んでマインの言葉遣いが気になった人
- 仕事のメールや敬語表現に自信がない人
- 「日本語の正しさってそもそも何だろう?」と思ったことがある人
「ありがとう存じます」は、なぜ文法的に”怪しい”と言われるのか?
まず、この表現を分解してみます。
- 「ありがとう」:形容詞「ありがたい」の連用形が変化した表現。感謝そのものを表す言葉。
- 「存じます」:「思う」「知る」の謙譲語。自分の気持ちや認識をへりくだって伝えるときに使う。
問題はここです。
「ありがとう」は感情の直接表現なのに、「存じます」をつけることで「ありがたいと思っております」という構造になる。つまり、感謝を直接伝えながら同時に一歩引いて述べるという、ちょっとねじれた二重構造が生まれるんです。
「おかしい」と指摘する立場の人は、「感謝をダイレクトに伝える言葉に謙譲語を重ねると意味がぶれる」と言います。
一方で「慣用として定着しているし、丁寧さを高める表現として機能している」という肯定的な見方も根強くあります。
文化庁の「敬語の指針」でも、この表現は明確に”誤り”とは断定されていません。
現時点では「慣用的に広く使われている表現」として黙認されているのが実情です(諸説あり)。
じゃあ「ありがとうございます」との違いは何? 2つの表現に隠されたドラマ


「ありがとうございます」は「ありがたい+ございます」の構成で、「ありがたい状態が存在する」という意味になります。文法的にも安定していて、現代日本語の標準的な感謝表現として広く定着しています。
一方「ありがとう存じます」は、江戸時代や明治期の改まった書き言葉・武家言葉に近いニュアンスを持っています。現代では格式張った場面や、あえて”時代がかった丁寧さ”を演出したいときに使われることが多い表現です。
だから『本好きの下剋上』のような中世ヨーロッパ風の身分社会を舞台にした作品では、むしろこの言い回しが自然なんです。
マインが「ありがとう存じます」を使うのは、文法の正確さよりも、貴族や神官といった目上の存在に対して、その世界のルールの中で最大限の敬意を示す言葉として機能しているから。作者がその世界観を精緻に作り込んでいる証拠でもあります。



文法的に正しいかどうかより、異世界転生前の現代知識を持ちながら必死に敬語を使いこなそうとしているマインの健気さのほうが、もう全部正解でよくないですか。本、読んでください。
💡 ちなみに:「ありがたく存じます」なら文法的に整合性がある
実は「ありがとう存じます」よりも、「ありがたく存じます」のほうが文法的にはすっきりします。
「ありがたく」は形容詞の連用形なので、「〜と存じます」との接続が自然。改まったビジネス文書や目上の方への手紙では、こちらの表現のほうが無難です。
また「存じます」の使い方で意外と多い間違いがこちら。
- ✅「〇〇様のことはよく存じております」(自分が”知っている”に対してへりくだる)
- ✅「ご理解いただけるものと存じます」(自分が”思う”に対してへりくだる)
- ❌「ご存知でいらっしゃいますか?」を「存じますか?」とは言わない
「存じます」はあくまで自分の認識や気持ちに使う言葉なので、相手の行動や状態に対して使うと意味がおかしくなります。迷ったときはこれだけ覚えておけば大丈夫です。
まとめ:「ありがとう存じます」は誤りではないが、日本語が”ふわふわしている証拠”でもある
| 表現 | 文法的評価 | 使いどころ |
|---|---|---|
| ありがとうございます | 安定・標準的 | 日常〜ビジネス全般 |
| ありがとう存じます | 慣用的に許容(諸説あり) | 格式張った場面・時代がかった丁寧さ |
| ありがたく存じます | 文法的に整合性あり | 改まった書き言葉・ビジネス文書 |
「ありがとう存じます」は、完全な誤りとも言い切れないし、安心して推奨できる正解でもない。
長い時間をかけて日本語の中に慣用表現として根を張ってきた言葉、というのが正直なところです。
日本語って結局、「正しさ」と「慣用」のあいだをずっとふらふらし続けている言語なんですよね。それがまた、面白いところでもあるんですが。



マインが正しいかどうかより、そもそも『本好きの下剋上』を読んでいてこういう疑問が湧いてくる読者がいることのほうが、なんかもう……素敵だと思います。布教、続けてください。








