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【後編】少年と逆さまの猫

コロンを迎えて数日が経った頃、光輝は放課後に再び建築現場を訪れた。すっかり晴れ渡った青空の下、作業員たちが慌ただしく動き回っている。コンクリートを流し込む音やトラックのエンジン音がガシャガシャと響くなか、いつものように“ネコ”――一輪車が逆さにされて並んでいた。

「この前はありがとね。コロン、元気にしてるよ」

光輝が大河に声をかけると、彼はちょうどセメント袋を運んでいるところで、重そうに肩を上下させながらも笑顔で振り返る。

「おう、そうか。もう傷も大丈夫そうか?」

「ええ、まだ少しびっこは引いてるけど、ご飯もちゃんと食べてます」

光輝の返事に、大河は「そりゃよかった」と安堵の表情を浮かべた後、一輪車の並ぶ方向を見やる。

「さて、あいつらもおまえらとは仲間だな。坊主が猫を大事に思うように、俺たちはこっちのネコを大事に扱ってく。まあ道具だが、心構えは似たようなもんだろ」

光輝はその言葉に深くうなずく。一輪車はあくまでもモノであるけれど、人の手で心をこめて手入れすれば何倍にも働いてくれる。そして本物の猫も、見返りを求めず助けてあげることで心を開き、一緒に暮らす幸せを与えてくれる。

「みんなで支えあうんですね。人も道具も、そして命も……」そうつぶやく光輝の目には、確かな決意が浮かんでいる。

家に帰ると、コロンが玄関まで迎えに来てくれた。まだ慎重な性格は残っているが、ここ数日は慣れた様子でスリスリと足元にすり寄ることもある。光輝がかがんで頭を撫でてやると、コロンは小さく「にゃあ」と鳴いた。

「ただいま、コロン。今日はどうしてた?」

問いかけに答えるような気配はないが、その柔らかな毛並みを指先で感じるだけで、不思議と疲れが和らぐ。母は忙しい合間をぬってネットの情報を調べ、「猫が快適に過ごせる工夫」を実践し続けている。父にいたっては、休日にペットショップへ足を運び、いろんなグッズを見て回るのが楽しみになりつつあるようだ。

そんな家族の様子を感じているのか、コロンもだんだんと表情に安心感がにじむようになってきた。以前のように怯えた目をすることは減り、丸まっている姿にはリラックスした空気が漂っている。丸まった背中は相変わらず、一輪車の底の曲線にそっくりだ。

ある晩、光輝が学校の宿題をしていると、ドアの隙間からひょこっと小さな鼻先がのぞいた。コロンだ。いつもなら部屋の中を慎重に眺めてから入ってくるのに、今日はまっすぐ光輝の足元へ近づき、そのまま膝の上で丸くなる。

「コロン……!」

思わず声をあげる光輝の胸が、とたんにあたたかく満たされる。ほんの数週間前までは、雨のなか傷ついていたコロンが、今はこんなにも安心して身を寄せている。この重みとぬくもりこそ、言葉では表せない尊いものだと感じる。光輝はしばらく宿題の手を止め、コロンの背中をなでながら、窓の外の街灯の明かりをぼんやりと見つめた。

次の日曜日、家族みんなでコロンを連れて病院へ行った。定期検診と包帯の取り換えのためだ。獣医さんからは「歩き方も問題なさそうですね」とのお墨付きをもらい、一同はほっと胸を撫で下ろす。コロンも車に少し慣れてきたのか、キャリーケースの中で大人しくしていた。

帰り際、光輝はふと、「大河さんたちにも報告したいな」と言いだした。すると父が「じゃあ、ちょっと寄ってみようか」と、例の建築現場へ向かう。日曜だから職人たちも少ないだろうと思っていたが、想像に反して意外と活気があった。どうやら工期の関係で休日返上の現場作業が続いているらしい。

そこにはやはり、逆さまにされた“ネコ”たちがずらり。遠くでレッカー車が重い資材を吊り上げている様子を見つつ、光輝はコロンを抱えて近づく。大河の仲間に声をかけると、「ちょうど休憩中だ、あっちにいるよ」と指をさす。そして地面に折りたたみイスを出して座っていた大河のもとへ家族で向かうと、彼はすぐ気づいて立ち上がった。

「コロン、順調そうだな!」

目を細めて覗き込む大河に、光輝は笑顔でうなずく。コロンは少し戸惑い気味だが、怯えた様子ではない。以前のような雨の日の不安気な眼差しはもう、そこにはなかった。

「おかげさまで、怪我もほとんど治りました。今日は検診で問題なしって言われたんです。ほんとにありがとうございます」

光輝が深々と頭を下げると、大河は「そりゃよかった」と照れくさそうな笑みを浮かべる。

「おまえらが大事にしてくれたんだ。猫は正直だからな、ちゃんと伝わったんだよ。“ネコ”だって、雑に扱えば愛想を尽かすかもしれないけど、丁寧に使えばずっと役立ってくれる。似たようなもんだ」そう言って、大河は一輪車――ネコの並びをちらりと見やり、再びコロンに視線を戻した。

しばらく立ち話を楽しんだあと、光輝たちは引き止められないうちに現場をあとにした。大河は「また来いよ。ネコの練習でもさせてやるから」と冗談めかして手を振っている。父は「重たいコンクリ運びは大変だな」と感心し、母には「男の人ばかりなのに、なんだかあったかい雰囲気ね」と映ったようだ。光輝はそんな家族の会話に耳を傾けながら、コロンを両腕に感じ、幸福感に満ちた気持ちを噛みしめる。

家族で力を合わせ、一つの小さな命を支える。それは同時に、道具を大切に扱う職人たちの姿勢と通じ合っている。どんな些細な存在だって、放っておけば雨やゴミにまみれ、いつかは壊れたり傷ついたりしてしまう。だけど、取り替えがきかないものや、かけがえのない命というのは確かに存在しているのだ。コロンはそのことを教えてくれた。

家に戻ると、コロンは早速部屋のクッションの上にもぞもぞと落ち着いて丸くなる。光輝は嬉しくてそっと近づき、その柔らかな毛並みに顔を埋めるようにして撫でた。父と母もここ数日の忙しさが報われるように、微笑みながらコロンを見つめている。――猫を飼うと、毎日の世話や掃除、出費、そして何より命に向き合う責任が生まれる。だけど、そこに注がれる真心が、傷ついた命を支え、人の心をも豊かに変えてくれるのだろう。

光輝はそう信じ、コロンの体温を感じながら、新しい家族との時間を一つひとつ大切にしていこうと思う。雨上がりに逆さまにされた“ネコ”を見て「猫みたいだ」と微笑んだ日のことを、きっと一生忘れないだろう――。

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