第4章 「謎の来訪者」
その日の夕方、いつもより早めに仕事を切り上げようとしていた西園寺の机に、一本の内線電話が入った。
「受付に、あなた様宛のお客様がいらっしゃっています」
珍しい。西園寺に会いに来る来客などほとんどない。しかも終業間際の時間帯に。
受付に降りていくと、そこには凛とした佇まいの若い女性が立っていた。年の頃は二十代後半といったところか。きちんとしたスーツ姿で、どこか懐かしさを感じさせる雰囲気を漂わせている。
「西園寺さんですね。初めまして、渋谷理々花と申します」
その名前を聞いた瞬間、西園寺の背筋が凍った。渋谷――それは創業者の姓だった。
「私、創業者の孫になります」
会議室に案内された理々花は、バッグから一冊の古い手帳を取り出した。
「祖父の遺品を整理していたら、西園寺さんのお名前が何度も出てきまして」
手帳のページをめくる音が、妙に大きく響く。西園寺は椅子の上で身体を強張らせていた。
「例えばここに…『マニュアル車を運転する彼は、いつも何かに怯えているようだ』という記述があります」
理々花は静かな声で続けた。
「そして、最近社内で話題になっている映像のことなんですが…」
西園寺の心拍が早くなる。
「技術的に見て、少し不自然な箇所があるという指摘を受けまして。まるで合成のようだと」
会議室の空気が、一瞬凍りついたように感じられた。
「私は祖父の記憶を、ほとんど知らないんです」
理々花の声が柔らかくなる。
「写真や映像、日記の断片…それらを通じて、少しずつ祖父という人物を理解しようとしています。だから、西園寺さんに真実を教えていただきたいんです」
その瞬間、西園寺の中で何かが崩れるような感覚があった。これまで必死に守ってきた嘘の城が、少しずつ揺らぎ始める。
「実は…私は…」
言葉が喉まで出かかった時、突然ドアが開いた。
「おや、西園寺さん。まだいたんですか」
鬼塚が顔を出す。その後ろには林も。二人とも練習帰りらしく、疲れた表情を浮かべていた。
「あ、お客様でしたか。失礼しました」
「いえ…」理々花が立ち上がる。「私そろそろ失礼します。また改めて」
去り際、彼女は西園寺に一枚の名刺を差し出した。表には広告制作会社の連絡先が印刷されている。
「どなたですか?」林が興味深そうに尋ねる。
「ただの…通りすがりの人さ」
西園寺は曖昧に答えた。しかし、理々花の訪問は彼の心に大きな波紋を投げかけていた。創業者は自分のことを、どのように見ていたのだろう。そして、あの映像の真相は…。
机に戻った西園寺は、引き出しの奥から一枚の古い写真を取り出した。そこには若かりし日の自分と創業者が写っている。しかし、それはマニュアル車の前ではなく、会社の庭で撮られた何気ない一枚だった。
窓の外では、夕暮れが深まりつつあった。今日もまた一つ、過去の影が現れた気がする。そして、それは必ずや真実への道を開くのだろうか。
西園寺は理々花の名刺を、そっとポケットにしまった。
左足が動かない。
どうしてもマニュアル運転できない僕の選択