第2章 「驚きの記録映像」
翌朝、西園寺が出社すると、すでに営業主任の鬼塚が待ち構えていた。
「西園寺さん!聞きましたよ、プロジェクトリーダーに抜擢されたって」
いつもの鬼塚らしからぬ興奮した様子で、両手で西園寺の手を握る。45歳の彼は、普段から豪快な性格で知られていた。
「マニュアル運転なんて基本中の基本ですからね。私に任せてください!」
その言葉に西園寺は違和感を覚えた。確か鬼塚は…。
「鬼塚さん、免許は持ってるんですよね?」
「え?ああ、もちろんですよ!20年前に取得して…」
言葉の最後が微かに震える。実は鬼塚も典型的なペーパードライバーだった。免許こそマニュアルで取得したものの、実際の運転経験はほとんどない。
「僕も頑張ります!」
林も加わり、小さな会議室で初めてのミーティングが始まった。しかし、誰一人として実践的なマニュアル運転の経験者がいない。
「とりあえず、社有車で練習することから始めましょう」 「そうですね。西園寺さんに教えていただきながら…」
鬼塚の言葉が途切れた。会議室のドアが勢いよく開き、支社長が飛び込んできた。
「やはり!西園寺君、これを見てくれ!」
支社長は興奮した様子で、タブレットを取り出した。画面には「創業者と共に」というタイトルの動画が表示されている。
「社内ネットワークにアップされていたんだ。君の若い頃の姿だよ!」
再生ボタンが押された瞬間、西園寺の血の気が引いた。
画面には確かに若かりし日の自分が映っている。創業者と思われる初老の男性の隣で、見事なシフトチェンジを繰り返しながら、大型のマニュアルトラックを操る姿。しかも、その表情は実に生き生きとしていた。
「こ、これは…」
「すごいじゃないか!こんな技術を持っていたなんて。私も目から鱗だよ」
支社長の声が遠くなる。西園寺にはわかっていた。これは偽物だ。確かに映っているのは間違いなく若い頃の自分だが、運転している場面は明らかに合成されている。
「西園寺さん、なぜ黙っていたんですか?」 「そうですよ。こんな素晴らしい経験をお持ちだったなんて!」
鬼塚と林が驚嘆の声を上げる。会議室の空気が一変した。
「いや、これは…」
否定しようとした瞬間、支社長が西園寺の肩を強く掴んだ。
「君こそ、このプロジェクトにふさわしい。生ける伝説じゃないか」
その言葉に、西園寺は凍りついた。本当のことを言えば、すべてが崩壊する。プロジェクトどころか、自分の立場さえ危うくなるかもしれない。
「…あれは若い頃の記念映像で」
結局、曖昧な言葉で誤魔化すしかなかった。しかし、誰がこんな映像を作ったのか。なぜ今のタイミングで?
その日の午後、社内は西園寺を巡る噂で持ちきりとなった。
「西園寺さんって、すごい方だったんですね」 「あんな完璧なクラッチワーク、プロ並みですよ」 「創業者と一緒に仕事をしていたなんて…」
かつては影の薄い中年社員でしかなかった西園寺が、突如として伝説の存在へと祭り上げられていく。
夕方、駐車場で自分の車に向かう途中、西園寺は足を止めた。社有のマニュアル車が並ぶ一角で、鬼塚と林が必死に練習している。エンストを繰り返す音が、西園寺の良心を突き刺すように響いた。
「私には…できない」
呟いた言葉が、誰にも届かない風に消えていく。左足が痛むのは、もはや身体的な問題というより、心の傷なのかもしれなかった。