第8章 「崩壊と再生」
デモ走行から一週間後、会社は大きく揺れていた。
本社取締役の一部が関与した不正取引が発覚し、新聞やテレビが連日報道する。古い輸送ラインの買収計画は白紙撤回。「全社マニュアル化計画」も完全に頓挫した。
支社長は更迭され、関係者の多くが処分を受けた。
「西園寺さん、お疲れ様です」
出社した西園寺の机に、同僚たちが次々と声をかける。その口調には、以前のような軽さはない。むしろ、深い敬意が込められているように感じられた。
「本当の勇気って、こういうことだったんですね」 若手の林が珈琲を差し出しながら言う。
「私は、ただ逃げることに疲れただけさ」 西園寺は穏やかな笑みを浮かべた。
昼休み、屋上で理々花が待っていた。
「見つけものがありました」 彼女は一本のビデオテープを取り出す。
「祖父の遺品から出てきたんです」
会議室で再生されたそのテープには、創業者のインタビュー映像が記録されていた。撮影は20年以上前のもの。
『西園寺君のことですか?ああ、彼は面白い男です』 画面の中の創業者が懐かしそうに語る。
『確かに彼は怖がりで、マニュアル運転は苦手でした。でも、彼には誰よりも安全に対する熱意がある。いつかきっと自分のペースで目覚めるでしょう』
『それに、恐れることを知っている運転手のほうが、私は信頼できます。無謀な自信より、正直な怖さのほうが大切なんです』
映像を見終わった西園寺の目から、静かに涙がこぼれた。
その日の夕方、西園寺は退職届を提出した。
「本当に良いんですか?」 鬼塚が心配そうに尋ねる。
「ええ。私の役目は終わったと思うんです」
帰り道、西園寺は久しぶりに左足をまっすぐ伸ばして歩いてみた。不思議と痛みはない。
駐車場には、彼の小型のオートマ車が待っていた。助手席には一冊の本が置いてある。運転教本だ。
エンジンをかけながら、西園寺は空を見上げた。 夕暮れの雲間から、優しい光が差し込んでいる。
「もしかしたら、いつかあのクラッチを踏む日が来るのかもしれない」 ハンドルを握りながら、西園寺は独り言を呟く。
「いや、来ないかもしれない。でも、これでいいのだ」
街灯が次々と灯り始める中、小さな車は静かに走り出した。 左足は、もう痛くなかった。
エピローグ 「その後の風景」
あれから1年が経った。
西園寺は自宅近くの運転代行会社で働いている。皮肉なことに、彼の「安全第一」の姿勢は顧客から絶大な支持を得ていた。オートマ車限定という制約も、この仕事では全く問題にならない。
「西園寺さん、今日も安全運転よろしくお願いします」 常連客たちは、彼のことを「一番信頼できるドライバー」と呼ぶようになっていた。
かつての同僚たちとも、時々連絡を取り合う。 鬼塚は営業部長に昇進し、林は本社の安全管理部門に異動になった。二人とも、あの事件を境に大きく成長したという。
先日は理々花から結婚式の招待状が届いた。式場まではマニュアル車で送迎するという冗談めいた但し書きつきだった。
「まったく、あの子は祖父さん似で人を困らせるのが上手いな」 西園寺は苦笑しながら、快諾の返事を書いた。
休日、西園寺は時々近所の教習所に立ち寄る。 生徒たちが練習する様子を眺めながら、かつての自分を思い出す。 若い指導員が「クラッチの扱いに怖気づいている生徒さんがいて」と相談に来ることもある。
「恐れることは、決して恥ずかしいことじゃないんですよ」 西園寺はいつもそう答える。 「大切なのは、その恐れと正直に向き合うこと。それができれば、必ず自分に合った道が見つかるはずです」
先日、古いアルバムを整理していたら、一枚の写真が出てきた。 創業者と並んで立つ若かりし日の自分。 背景には真新しいマニュアル車が写っている。
写真の裏には、創業者の筆跡でこう書かれていた。
『恐れを知る者にこそ、真の安全は託せる』
西園寺は今でも左足が痛むことがある。 でも、それはもう恥ずべき弱点ではない。 むしろ、自分らしく生きるための大切な目印になっている。
夕暮れ時、いつものように代行の仕事に向かう西園寺。 助手席には、あの古い運転教本が置いてある。 もう開くことはないかもしれないが、それでも手放す気にはなれない。
街灯が次々と灯る中、西園寺の車はゆっくりと走り続ける。 オートマ車のシフトレバーに置かれた左手は、もう迷いを感じさせない。
「これが、私の走る道」
つぶやきが、穏やかな夜空に溶けていった。
(完)
左足が動かない。
どうしてもマニュアル運転できない僕の選択