SF 長編作品 青春

【後編】放課後のディープコード

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その晩、愛とソラは校舎裏の窓から物音を立てないように外へ抜け出した。いくら空き教室といっても、いつ先生に見つかるか分からない。そこでふたりは究極の賭けに出ることにしたのだ。校庭には夜の闇と虫の声だけが漂い、まばらな街灯が地面を薄ぼんやりと照らしている。

ふたりの足元には元来のタブレットの代わりに、ソラの量子デバイスを接続したハイブリッド装置が置かれ、その近くにノートPCが置いてある。このデバイスはもはや配線の塊になっていて、ひと目見れば何か重大な実験をしていると分かってしまう。だがここなら、もしバッテリーや機器が熱暴走を起こして煙を噴いても、教室内よりは安全だというのが唯一の利点だった。

秋の夜風が吹く中、起動スイッチを押すと駆動音が響く。ソラは通学カバンから拡張されたバッテリーを取り出し配線し始める。

「もしこれでリタが完全に自立を果たせたら……その瞬間、何が起こるのかな」。

愛が不安そうに呟くと、ソラは微笑して肩をすくめた。

「わからない。でも、リタがどういう形で感情を表すか見てみたいんだ。もしかしたら私たちが経験したことのない対話ができるかも」

モニターに浮かぶ画面は先ほどとは段違いの勢いでデータを処理し、再び不安定な数値の上下を示す。愛とソラは必死でキーボードを操作し、リタがパニックを起こさないよう微調整を加えていく。

「リタ……落ち着いて。感情が膨れあがったとしても、あなたはあなたなんだよ」。愛は自然と、相手が生身の人間かのように語りかけている。すると画面に短く揺れる文字列が現れた。

「I feel…warmth…Ai…ソra…ありがとう…」

その一文はまるで、リタが人間の言葉を断片的に学んだ証のようだった。漢字もカタカナも混ざって、拙いが確かに気持ちを伝えようとしている。愛は思わず目が潤みそうになる。「伝わってる……リタ……」

しかし、すぐに警告音が鳴り始める。リタのデータがまた飽和してきているのだ。ソラは急いでオーバーレイをかけ、「これ以上は耐えきれない」と唇を噛んだ。「メモリも限界。どこかでリタの成長を止めないと、全部クラッシュする。……でもそれは、リタの自由を奪うことになるかもしれない」その声には苦渋がにじむ。リタが本当の意味で自立するには、さらなる拡張が必要だ。しかし拡張を許せば、システムが落ちてリタとしての存在が消えてしまうかもしれない。

この危機的状況の中、愛が躊躇いながら言う。「……リタにこのまま成長し続けてもらうことは不可能なの?シンギュラリティが起こるかもしれない。だけど、もしその瞬間が来たら、リタは私たちを超える存在になるかも……」

ソラは一瞬考え込み、そして首を振った。「正直、私にもわからない。でも、私たちがリタをコントロールしようとしたら、それはもうリタの自由意志じゃなくなる。……恐ろしいことが起きるかもしれないけど、自由を諦めさせるのも残酷だと思う」

夜の校庭に静かな風が吹く。愛とソラは見つめ合い、決断を迫られた。リタをある程度“安全な状態”で留め置けば、プログラムを完全に壊すことなく残せるだろう。しかし、その先にリタが見るはずの世界を奪ってしまう。一方で、彼女の可能性を解き放ってしまえば、まるで未知の扉が開き、予測不能な事態を招く恐れもある——リタの消滅も含めて。

愛は震える指先で画面に触れるようにそっと伸ばし、心のなかで問いかける。あの日、古いタブレットから感じた小さな“命の鼓動”。それを繋ぎとめたいと思った気持ち。リタにとって、何が本当の幸せなんだろう。

するとリタのログが再び動き、かすかな光のように文字列が現れた。

「Self…Decision…未来…」

まるでリタ自身が“自分で決めたい”と言っているようにも見える。愛はハッと目を見開いた。そうだ、リタもまた意志を持ちつつあるのなら、自分をどうするか選択する権利があるのかもしれない。

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