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第五章「願いの代償」
朝食を取ろうとしたとき、玄関のチャイムが鳴った。
「おはようございます。雲見市役所の柿本と申します」
スーツ姿の中年男性が、名刺を差し出してきた。
「実は、この家の件でご相談が...」
応接間に通すと、柿本は分厚い書類を取り出した。
「この物件、実は所有権の問題が生じております。前の所有者の相続関係で、複雑な事情が...」
話を聞くうちに、美桜の表情は曇っていった。要するに、この家の賃貸契約が無効になる可能性があるというのだ。
「しばらく調査が必要になりますので、場合によっては...」
その時、突然強い風が吹き、応接間の障子が大きな音を立てて開いた。柿本は驚いて立ち上がる。
「失礼しました。また改めてご連絡させていただきます」
慌てて去っていく背中を見送りながら、美桜は溜息をついた。
午後、図書館に向かった。雲見の歴史について、何か手がかりがないかと思ったのだ。
「柘榴の木について、何か資料はありませんか?」
カウンターの司書は、一瞬硬い表情を見せた。
「柘榴...ですか」
老司書は奥の書庫に消え、しばらくして古い新聞の切り抜きを持ってきた。
見出しには「雲見で一家失踪」とある。日付は15年前。美桜の家に住んでいた家族の事件だった。
記事によると、夫婦と二人の子供が突然姿を消した。家の中は生活していた形跡がそのまま残され、銀行口座にも手つかずの預金があった。まるで、蒸発したかのように。
「実は、これ以外にも似たような事件が...」
司書は声を潜めて話し始めた。
「この土地では、柘榴の木に願いをかけると叶うという言い伝えがあります。でも、必ず何かを失うとも」
「失う?」
「命かもしれないし、大切な人かもしれない。誰にも分からない。ただ、代償は必ず払わなければならない」
その夜、美桜は再び庭を掘り返した。ガラス瓶を見つけなければならない。
月明かりの下、土を掘り進めていくと、突然指先が何かに触れた。
錆びついた指輪だった。
「それは私のもの」
振り返ると、黒いドレスを着た少女が立っていた。15年前に失踪した家族の長女に違いない。
しかし、その姿は徐々に変化していき、気がつけば"もう一人の美桜"になっていた。
「あなたも、願いを叶えたいの?」
笑みを浮かべる幻影。その背後では、柘榴の実が次々と落ちていく。
「でも、代償は大きいわよ」
その時、携帯電話が鳴った。東京の元上司からだった。
「伏見さん、地方創生の新しいプロジェクトを立ち上げることになってね。君の経験を活かせると思うんだ」
誘いの言葉を聞きながら、美桜は庭に広がる光景を見つめていた。
柘榴の木々が風に揺れ、まるで「帰れ」と言っているかのよう。 しかし同時に、この謎を解き明かさなければ、永遠に心の安らぎは得られないという予感もあった。