サスペンス ホラー ミステリー 中編小説

【前編】金曜日の夜、カラスたちは泣き始める

昨夜の恐怖心がまだ残ってはいたものの、修平には奇妙な好奇心も湧いていた。もし、あの不気味な光景が再び広がっているなら、いったいどんな真実が隠されているのだろう――。行方不明者が増加し、同時期にカラスが集まっている……そんな状況から「人間がカラスになっている」などという荒唐無稽な想像すら浮かんでくる。まさか、そんなことはあり得ないと思いながらも、頭の片隅には離れない。

少しだけ意を決して、カラスが誘導するように曲がる路地へ足を踏み入れた。腰のあたりに緊張が走る。視界の先には、人気のない暗がりが続いている。畳んだ傘のようにカラスが数羽、電線の上でこちらを見おろしている。その矮小な瞳に、街灯が妖しい光を落としていた。

前に進むほどに、嫌な予感が強まっていく。昨夜と同じようにカラスが群れを成しているのだろうか。それとも――。

と、そのとき。目の前をふわりと横切る黒い羽があった。視線を追うと、一羽のカラスが路地の隅でコンクリートの上をつついている。そこに落ちていたのは、小さな社員証のプレートのようだった。かすかに光るその縁に目を凝らすと、そこには「Sakamoto」の文字がかすれて読み取れる。

「坂本……?」

修平は動悸が止まらなくなった。同僚の坂本は、まさに半年前から行方不明になっている人物その人だった。会社でも何か大きなトラブルを抱えていたわけではないが、ある日突然「家に帰っていない」と連絡が入り、それっきり行方がわからなくなった。警察にも届けが出されたが、いまだに有力な手がかりは得られていない。

それと全く同じ名前のプレートが、こんな路地裏で、カラスに啄まれている――。悪い冗談だと信じたかった。だが、範囲が狭いとはいえ、自社の社員証の特徴そのままだ。人間の身分を示すはずのそれが、カラスの足もとで転がっている光景は、あまりにも不気味だった。

「おい……なんでそんなものを……」

思わず声を上げると、カラスは揶揄するようにカアッと鳴いて舞い上がる。そして電柱の影で再び降り立ち、こちらを振り返った。まるで、「もっと深く入り込んでみろ」と言わんばかりの動きだ。修平は震える手で社員証に触れようとしたが、何か嫌な胸騒ぎがして、それを拾うことができない。もともと薄暗い場所に加え、雲が月を覆い始めて、視界がさらに頼りなくなっていく。

「嘘だろ、まさか」

修平は脳裏に、いくつもの可能性をめぐらせる。坂本は何者かに連れ去られたのか、それとも失踪の末にここで何かが起きたのか。どちらにしても、ただ事ではない。しかし、その場でじっとしているのも怖かった。まるで闇に飲み込まれるような感覚に耐えられず、彼は社員証に触れるのを諦めると、再び来た道を戻るように逃げ出してしまった。

その瞬間、頭上で一斉にカラスたちが大きく鳴き声を上げる。まるで失望の叫びか、あるいは追いすがるかのような渦巻く声が、ビルの壁に反響して修平を包む。響き渡るカラスの声に背中を押されるように、彼はもう夢中で走った。足になんとか力を込め、自宅のドアを勢いよく閉めると、その場にしゃがみこむ。冷たい汗が頬を伝い、心臓は早鐘を打っていた。

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