ドラマ 中編小説

【後編】予定のない選択

その足で、かつて喫茶店のマスターが行きつけにしていたという別のカフェを訪れ、珈琲を一杯頼む。静かな店内の空気の中でゆっくり味わっていると、過去と未来が交差し、なんともいえない不思議な感慨が湧いてきた。ほんの数カ月前までは、「今さえ楽しければいい」と言わんばかりに先延ばしばかりしていた自分が、いまはこうして明日の予定を考えている。それが人として大きな変化だと気づくと、自然と笑みがこぼれそうになる。

不意に、誰かが席を立つ音が聞こえた。見ると、見覚えのあるシルエットの客がふとこちらを振り返る。だが彼の姿は一瞬で人波に飲み込まれ、店を出て行ってしまった。どこか、例のアプリの開発者を名乗る人物を連想させる、妙に存在感のある男性だったが、結局それが誰なのかはわからない。もしかすると、またどこかで接触があるかもしれないし、ないかもしれない。

いずれにしても、亮二にとって重要なのは「いまをどう生きるか」だ。未来を事前に見せられるアプリがもうなくても、自分で先を考えて動くことができると知った。それは、もしかすると本当に“社会を変える”ような大きな力ではないかもしれない。だが、自分個人の世界を変えるには十分すぎるほどの意味を持っていると思えるのだ。

こうして、ただ「明日の自分に丸投げ」してきた男は、生まれてはじめて自分のスケジュールを手にした。あからさまに劇的な成長とは言えないものの、確かに一歩踏み出したという感触がある。それは予定を立てるのが苦手な亮二にとって、大きな転機だった。未来予知アプリに振り回されながらも気づいたのは、どんな未来情報を先に知ったとしても、結局は「行動しなければ始まらない」というシンプルな真実である。そしてその行動のための道筋は、自分自身でこそ描くことができるということなのだ。

スマートフォンの画面には、もう「Foresight」のアイコンはない。しかし、自分の手帳やカレンダーに刻まれた予定表は確かな存在感を放っている。何日後に何をするのか、どのくらい余裕を持って取りかかるのか。すべては自分の選択次第だ。かつての亮二なら、その自由を持て余していたが、いまは少し違う。毎日の少しずつの積み重ねが、未来を鮮やかに彩るのだと信じられるようになったからだ。

そうして、今日も亮二はひとつ、小さな予定を立ててみる。明日の午後は久しぶりに大杉とランチをする約束をするのだ。彼はそこで、改めて言うつもりでいる。「お前が無事で本当によかった。俺も、ちょっとは変われたんだ」と。そしてその背後には、確かに未来予知アプリが齎(もたら)した記憶がある。最初はただの謎の通知としか思えなかったが、あれこそが「自分で動くこと」を教えてくれたレッスンだったのだ。

未来を先に知るだけでは、何も変わらない。けれど、未来を見据えて準備し、行動することは、こんなにも世界を変えてみせる。そう気づいた亮二は、明日を楽しみにできる新しい自分と出会いながら、新たな一歩を踏み出し始めていた。

―完―

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