ドラマ 中編小説

【後編】予定のない選択

大杉は続けた。「お前と一緒じゃなかったら、ほんとどうなってたか分からない。亮二、ありがとう……」

その言葉に、なぜか胸が温かくなった。ずっと「予定を組む」という行為から逃げ続けてきた自分が、予知アプリという怪しげな存在をきっかけに、初めて「自分の意志」で行動した。いや、まだ自分の肩は痛むのだから、褒められたことではないかもしれない。しかし、結果として大杉も母親と子どもも、命に関わる危険を免れたのは事実だ。いま、確かに歴然とした達成感が胸の奥に芽生えていた。

そこへスマホの通知が震える。見れば「Foresight」アプリからだった。

「未来は変えられるかもしれない。あなたの行動は新たな選択肢を切り拓きました」

実に簡潔なメッセージだったが、その言葉にはしっかりとした重みがある。「あなたの行動」「新たな選択肢」――結果論かもしれないが、もし亮二がいつものように何も考えずに後回しにしていたら、そして大杉が一人で行動していたら、本当に大事になっていたかもしれない。彼が初めて自分の手で立てた綿密な“予定”は、不安と緊張に満ちていたが、それでも恩恵をもたらしてくれたのだ。

その後、亮二は大杉の代わりに先方への資料を届けに行き、軽い捻挫のため病院へ寄った。大杉は家族の用事で急いで実家へ戻ることになったが、夜に改めて「本当にありがとう、今度ゆっくり飯でもおごらせてくれ」とメッセージが入った。こんなやり取りをする日は、社会人になってからはなかった。大杉は後輩に慕われるタイプで社内でも人気者だし、いつも明るいイメージしかなかったが、一方で抱えているものがあったのだとわかり、ますます親近感が湧いた。

家に帰り、ベッドに倒れ込んだ亮二は、スマホの画面を見つめながらひとり思案していた。いったいあのアプリは何者なのか。誰が、何の目的でこんな未来予知を配信しているのか。果たして本当に「社会を変える」ためのテストだなんて、大げさな目的があるのか――。そんな疑問や不安は尽きない。しかし、いまはもうそれらは大きな問題ではない気もしていた。大事なのは、自分が「予定を立てることが苦手な男」から、「未来を肯定的に考えられる男」に変わるかもしれないという感覚。そのきっかけに、アプリがなったという事実だった。

やがて数日後、アプリに再度メッセージが届いた。そこには「テスト終了につき、まもなく本サービスの機能を低下させます」という、まるで“実験”の終了を告げるような一文が書かれていた。この数週間で起こったことを思い返せば、どこか納得できる文面だ。通知の最後には、こんな一言も添えられていた。

「あなたが取る行動が、鍵になるのです。どうか、これからも自分の意志で未来を切り開いてください」

そうして、実際にアプリの機能が徐々に消失していく。未来予測の一覧が見られなくなり、最後にはアプリアイコンも消えていた。まるで最初から存在しなかったかのように、亮二のスマホから旅立っていったのだ。不思議な虚無感が広がる一方で、彼はもう、「何かの予知に頼らずとも、自分で予定を立てて行動していけるかもしれない」と思えるようになっていた。

その証拠といっては何だが、彼は痛めた肩のリハビリ期間が終わるやいなや、会社でのスケジュール管理を見直すことにした。カレンダーアプリや手帳を利用して、先のタスクを書き込み、ある程度は「明日の自分」を頼らないように気をつける。まだまだぎこちないが、少しずつ自分のやり方を習得し、前より安定して仕事をこなせるようになっていった。何より、朝起きるたびに「今日は何をする日だっけ?」という疑問がなくなったのは大きい。

とはいえ、一晩で完全に変わるわけではない。ゲームや娯楽に熱中すれば夜更かしすることもあるし、「まあいいや」と先に回してしまうことも正直ある。それでも、あの交差点での出来事を思い出すたび、行動を前もって考えることが「自分の時間をコントロールする」第一歩なのだと強く感じる。すると、不思議と自分を律したいという気持ちが湧き上がってくるのだ。

ある週末の午前中、珍しく早起きできた亮二は、久々に地元の商店街を歩いてみた。4月に閉店してしまった老舗喫茶店の跡地を見て、ふと胸がきゅっとなった。もしあのとき、アプリの情報を無視せずに何かできていたら、あの店は存続できたのだろうか。それは誰にもわからないし、結果として閉店は現実になってしまった。しかし、そのときに感じた「もったいない」という素朴な感情こそが、自分に課題を与えていたのかもしれない。「せっかく未来を予測できるのに活かせない」という歯痒(はがゆ)さが、「このままじゃいけない」という危機感を生み出したのだ。

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