ドラマ 短編作品 青春

【街角の小さな世界を見つめる“ぼく”】夜に立ち尽くす青年

1.夜に立ち尽くす青年
2.雨の日に咲く傘たち
3.夜のレクイエムと踊る影
4.昼下がりの交差点に訪れる迷い
5.暮れのシグナルに映る希望

ぼくは、街角に立つ一本の信号機だ。名前もなければ、声を持つこともできない。そのかわり、ぼくの役目は光を灯(とも)し続けること。赤、青、黄――この三色の変化だけで、ここを行き交う人々に「いつ進み、いつ止まるか」を示す。

そんなぼくの視界には、毎日のようにいくつものドラマが繰り返し映し出される。朝は元気に声を張り上げて登校する学生たち、片手にパンをくわえて走り抜ける遅刻寸前の会社員、数年ぶりに再会したのか、横断歩道の真ん中で思わず抱き合ってしまう親子――。夕方になると、スーパーの買い物袋を両手に下げた人や、保育園帰りの親子連れが増え、オレンジ色の夕陽が長い影を伸ばして車道のアスファルトを優しく染めていく。そして夜が更けると、町は少しずつ静けさをまとい、ぼくはネオンの光に照らされながら、淡々と光を切り替えていくのだ。

この場所は、都心から少し外れたオフィス街と住宅街の境目にあたる。昼間はビジネスパーソンが慌ただしく通り、夕方には学生が駅へ向かい、夜になると飲食店やコンビニへ立ち寄る人々が行き交う。交通量は決して多くはないが、ぼくが暇になることはほとんどない。人と車の流れは、季節や時間帯によって様々な表情を見せるからだ。時間が経つと、町の空気も変わる。それを肌で感じることはできないけれど、ぼくの視界に映る景色は、まるで生き物のように刻一刻と移り変わっていく。

朝になると、一番に目に飛び込んでくるのは子どもたちだ。とりわけ小学一年生くらいの子が、親に手を引かれて通学路を渡る姿は、ぼくにとってもなんだか新鮮に映る。赤を青に切り替えれば、子どもたちはいっせいにキャッキャと笑いながら横断歩道を走り抜ける。まれに、自分ひとりで初めて道路を渡ろうとする子もいる。そんなときは、心配そうな顔のお母さんが遠くから「気をつけてね」と声をかけているのが見える。ぼくにできるのは、青い光をしっかりと灯してあげることだけ。でも、その小さな足が一歩を踏み出す瞬間に立ち会うと、信号機であるぼくもほんの少し胸が温かくなるような気がする。

昼下がりには、スーツを着こなした男性や女性がスマートフォンを片手に、忙しそうにやってくる。赤信号で止められては小さくため息をつき、青になると同時に急ぎ足で通り過ぎていく。その合間に、のんびり散歩をしているお年寄りの姿も見かける。ぼくの真下を横切るときに、ふと足を止め、見上げる人もいる。そんなときは、ぼくがいつもとは違う存在に思われているのかもしれない。もしかしたら「この信号機、いつからここに立っているんだろう?」なんて考えているのかもしれない。その想像をめぐらせるのも、ぼくのささやかな楽しみだ。

そして夜――。昼間のざわめきが去り、町は静寂をまとっていく。ビルの照明が少しずつ消えていき、街灯と車のヘッドライト、それからぼくの三色の光だけが交差点を照らしている。夜が深まるにつれ、横断歩道を渡る人はまばらになる。時には飲み会帰りのグループが笑い合いながら通り過ぎ、時にはタクシーを探してキョロキョロと辺りを見回す人もいる。そんな人間模様を見下ろしていると、交差点というこの場所が、まるで小さな舞台のように感じられることがある。それぞれの人が、それぞれの生活を背負って、同じ舞台を横切っていく。ぼくは俳優でも演出家でもない。ただ決まった光のパターンを示すだけの機械だ。それでも、ここに立っているだけで、こんなにも多様な人生の一片を見守れるのは不思議なことだと毎晩思う。

そんなある日、深夜近くになっても、ぼくの前で立ち尽くす青年の姿があった。最初はただの通行人かと思っていた。音楽プレーヤーのイヤホンを耳に差し込みながら、赤で止まり、青で渡るタイミングを見計らっているのかなと。しかし、その青年は青に変わっても歩き始める気配がない。やがて車のライトが消えたタイミングでも彼はまるで動かない。横断歩道の前にぼんやりと立ち、何か言いたげにうつむいている。ぼくは信号を切り替える。赤になっても、再び青になっても、彼は微動だにしない。ここで声をかけることができたら、どんな言葉をかけてあげられるのだろう。機械の身であるぼくには、それを発する術がない。ただ、赤や青、黄といった光の色を変えることで、通りを行き交う人々へ合図を送るしかないのだ。

時折、その青年のそばを誰かが通り過ぎることはあった。友人同士が笑いながら夜道を駆け抜けていったり、コンビニ帰りのサラリーマンが肩を落として歩いていったり。しかし、青年を見とがめる人は少ない。通り過ぎる人々にとっては、ただの“知らない誰か”だから。ぼくの目から見ても、彼は空っぽの瞳をしており、まるで夢を失ったかのようだった。夜という時間帯は、人々を多かれ少なかれ孤独にする。だから彼の姿は、ここに立つ長い人生の中でもとりわけ印象深く映ったのかもしれない。

時は流れ、まもなく日付が変わろうという頃だ。住宅街の方もすっかり灯りがまばらになり、道を走る車の音も遠くから僅かに聞こえる程度となった。そんな静まり返った夜の交差点で、ぼくはひたすら赤、青、黄を繰り返している。もしこの光の変化が、彼にとって何らかのメッセージにならないだろうか。赤は「今は立ち止まっていいよ」、青は「進もうと決めたなら、迷わずその足を踏み出してみて」、黄は「ためらいながらでも、次の信号を待ってごらん」。そんなふうに、ぼくは強く願っていた。もちろん、その想いを直接伝えることはできない。けれど、ぼくの光が彼の心の一部でも照らせたなら、いつかきっと一歩を踏み出すきっかけを作れるのではないか。ぼくはただ、その可能性を信じて、規則正しく光を点滅させ続ける。

やがて午前二時を過ぎると、通り過ぎる人はほとんど途絶え、彼とぼくの“二人きり”のようになった。彼は少し首をかしげ、視線だけを遠くに向けている。交差点の向かい側には、暗く閉じられたカフェやコンビニ、すでに早めにシャッターを下ろしたドラッグストアが並んでいる。どれも今は深い眠りについているようだ。青年はポケットから何度もスマホを取り出しては、画面を見ている。でも、そこに連絡をくれる相手はいないらしい。あるいは、メッセージが届いているのに、返す気力がないのかもしれない。ぼくは青の光を灯しながら、彼の背中をそっと押すように「もう一度、自分を信じて渡ってみたらどう?」と心の中で問いかける。いつか、ぼくの青は届くだろうか。

その夜、彼が立ち尽くしていた理由を、ぼくは直接訊ねることなどできない。けれど、想像だけはできる。就職がうまくいかなかったのかもしれない。あるいは夢を叶えるために上京してきたけれど、挫折を味わったのかもしれない。ぼくがここで見てきた無数の人々のドラマを思い返すと、一つひとつは違うようでいて、似た悩みを抱えて立ち止まる姿も多かった。失恋して横断歩道を渡る気力がない若者。営業が振るわず、取引先までの道のりを重たそうに歩く中年社員。家庭内トラブルを抱え、帰宅するのを躊躇してしまう主婦。人には言えない苦しみがあって、それでも道路を渡るしかない……そんなとき、ぼくの青や赤の光はただの合図にすぎない。けれど、もしかしたら「ここから一歩踏み出してみよう」「今は少し休もう」と、人によっては何かの決断を後押しする存在にもなりうるのだ。

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