続き
しばらくすると、通りを歩いていた数名の人々が足を止めて、その小さな演奏に耳を傾け始めた。眠る街に響くバイオリンの調べに、皆が静かに引き寄せられていくのだろう。飲み会帰りの若者たちは最初こそ戸惑い気味に見ていたが、アルコールの勢いも手伝ってか、なんだか感心したように拍手を小さく送り、互いに顔を見合わせる。そして、タクシー待ちをしていたサラリーマン風の男性は、少し疲れた面持ちでありながら、演奏を聞くうちにまぶたを閉じて感慨深げに頷いている。まばらな深夜の人通りが、ほんのひととき、ひとつの音色に結びついていくようだった。
老人の演奏は、決して完璧ではない。時折、指がぎこちなく震えているのか、弓が弦に引っかかるようなノイズが混じる。それでも、その刹那こそ深みが増すように感じられた。もしかしたら指先の衰えや、長年の間プレイしていなかったブランクがあるのかもしれない。だが、そこにあるのは純粋な情熱と、夜の静寂を介して交差点に響く壮麗な意志のようなものだ。かつて壇上でスポットライトを浴び、観客の拍手喝采を浴びていた頃、その胸にあったものが、今ここで形を変えて蘇っているのだろうか。
夜風にかき消されそうな小さなメロディ。それでも、老人の瞳はまるで遠い過去の舞台を再現するかのように、ゆっくりと閉じられ、弓の動きが優雅になっていく。背筋はどこか伸びやかで、杖を頼りに歩いていた姿とは違った凛とした気配が漂っている。まるで演奏家がステージの中心部に立つような佇まいだ。閉店したホールの扉は暗闇に閉ざされているが、その建物に残る思い出の残響を、彼は自らの音色で呼び起こそうとしているのかもしれない。
いくばくかの時間が流れ、やがて曲が終わると、辺りは再び静寂に包まれた。風がコートの裾をはためかせ、ついぞ落ちてこない拍手が、その場を満たす音楽の余韻とともに重たく空気を撫でる。ほんの数人だけの聴衆から、小さな拍手や拍手未満の手の動きが聞こえた。老人は目を開き、軽く一礼するように会釈をする。深々とした礼ではないけれど、そこには演奏を聴いてくれた相手への感謝や、ホールに捧げる惜別の思いが入り混じっているようだった。
そのまま老人は、バイオリンをケースへと戻し、また丁寧に蓋を閉じる。夜の冷気で冷たくなった弓をそっとタオルで拭いながら、どこか達成感に満ちた表情を浮かべているように見えた。視線は相変わらず閉店したホールの方向を向いているが、先日ここに立ち尽くしていた時のような陰りは薄れている。まるで自分が残してきた思い出と、未練と、そして音楽への愛情に対して、ひとつの区切りをつけたかのようだった。
ぼくは夜の闇の中で、相変わらず赤や青を繰り返している。時折聞こえる車のエンジン音が遠ざかり、青に切り替われば細々と人が行き来する。だけど、この老人とバイオリンの音色が織りなす空間は、まるで時が止まったように感じられる。まばらな通行人たちがまるい傘のように少しだけ集まり、音のない拍手を送る。人々は何か言葉を交わすでもなく、ただ今の出来事を心に留めているようだ。たぶん、彼らにとってもこの演奏は、ちょっとした奇跡のような出来事だったのだろう。
やがて老人は演奏を終え、軽く息を吐くと、ゆっくりと腰を上げて杖を手に取った。バイオリンケースを持つ手から、微かに震えが伝わっているようにも見えるが、それはもう決心がついた後の震えなのだろう。彼はひとり静かに踵を返し、交差点を去ろうとする。その背中を見守る人々は、誰も言葉をかけない。それもまた、敬意の表れのように感じられた。
ぼくはまた、青に切り替わる。遠くから車のライトが近づき、老人の影を横断歩道の上に伸ばす。長い影が、まるでバイオリンの弦を思わせる細い線に見えた。深夜という限られた時間だからこそ、そうした些細な美しさに気づけるのかもしれない。老人の背中は、ほんのわずかに弓をひく姿勢を思い起こさせた。もうすぐ夜が明ける。朝が来るまでには、きっと家に帰り着き、バイオリンを再びしまっておくのかもしれない。だが、その心には今日の演奏の余韻がまだ残っていて、それが次の日の朝を少しだけ変えてくれるのではないだろうか。
夜の交差点は、いったん元の静寂に戻る。かすかに熱を帯びていた空気も、再び冷んやりとしてきた。まだ立ち尽くしている通りすがりの数名は、お互いに顔を見合わせては、小さく笑ってうなずき合い、各々の行き先へと散っていく。まるで、秘密の夜会でも終えたかのように。こうして人は、街角が見せるほんのひとさじのドラマを心の中に収めて、それぞれの眠りへ帰っていくのだ。その後ろ姿を見送りながら、ぼくはまた赤と青と黄を規則正しく灯し続ける。
交差点の脇には、先ほどまで老人が見上げていた音楽ホールのビルがある。シャッターが閉まり、貼り紙が色あせ始めた入口は、もうそこに人が集うことはないだろう。それでも、今宵、老人の弓先から紡がれた調べは、きっとこの場所に溶け込んでいる。夜風に乗って消えていったようで、実は残り香のように漂い続けるのかもしれない。もし、また誰かが同じように音楽と人生を愛する想いを胸に、このビルを見上げる日が来たなら、その優しい残響が、かすかに耳鳴りのように聴こえるのではないだろうか。
ぼくは信号機だから、彼の演奏を聞いたと言っても、それが人間のような聴覚を介した“聴く”体験とは違っている。だけど、確かにあの夜、ここには音楽があった。しかもそれは、かつて彼が舞台に立ち、観客とともに作り上げていた熱狂の名残そのものだった。耐えがたく切ない響きと、懐かしく温かい思い出が混じり合い、静寂と対峙するかのように宵闇を震わせた。ぼくは先日、老人がここに立ち尽くしていたとき感じた“後悔”や“懐かしさ”が、演奏によってほんの少し癒やされていくのを見届けたような気がする。
音楽ホールが閉鎖されても、夢が完全に尽きるわけではない。老人の演奏が示したように、その思い出や情熱は、新たな形で甦ることもある。演奏は終わってしまったけれど、あの深夜の一瞬こそが、老人にとっても、聞いた人々にとっても、二度と得られないかけがえのない体験だったのではないだろうか。どれほど観客が少なくても、その音色が存在した事実に変わりはない。ほんのかすかな拍手しかなかったとしても、その一人一人の胸に残ったものは、確かな鼓動として今回の夜を彩ったはずだ。
やがて、東の空がわずかに白み始める。街の遠くには早朝の仕込みを始めるベーカリーの灯りが灯され、夜勤明けのタクシーが交差点をゆるやかに曲がっていく。朝が近いことを知った老人は、もう姿を消してしまった。杖を突いて歩く音も、バイオリンを抱える背中も、どこにも見あたらない。けれど、ぼくの視界には、まだかすかな音の残像が揺らめいているかのようだ。今、赤信号を灯しているぼくの光に、あの儚い調べが最後の一フレーズを添えるように重なり、ゆっくりと消えていく――そんな幻のような情景すら思い浮かぶ。
信号が青に変わると、まだ眠気を拭いきれない早朝の通行人たちが少しずつ集まり始める。仕事に向かう人、コンビニに立ち寄る学生、朝帰りの人。誰も、ここで繰り広げられた深夜の一幕に気づくことはないだろう。それで構わない。音楽は形を持たず、ささやかな夢は目には見えない。それらが一夜のうちに消えてしまうとしても、この交差点に宿った時間は確かに生きていた。
ぼくはこれからも昼と夜で姿を変える街を見守りながら、赤・青・黄を繰り返す。そこには喜びもあれば、痛みもある。歌声もあれば、沈黙もある。つい先日は雨の日に傘を失くした少年が、一歩を踏み出す姿を見たし、もっと前には夢を見失った青年もここで夜を越えた。今夜はバイオリンを携えた老人がかすかなレクイエムを奏で、街が眠る間にその心の叫びを確かめていった。どんな事情や思い出を抱えていても、必ず人は歩き、止まり、そしてまた歩き出す。ぼくはただ、そのあいだに光を正しく灯すだけ。だけど、その合間合間に、小さな奇跡が生まれているのを、ぼくは知っている。
そろそろ太陽が昇り始める。老人は少し遠い場所で夜明けを眺めているのか、それとも家のソファにもたれてしばし休息をとっているのか。彼の耳にはまだ、さっきの音楽が鳴り続けているのかもしれない。ここに登場しない多くの人々にも、それぞれ朝の光が今まさに届いている。ぼくは今日も変わらずに、これから訪れる人々の物語を見送るのだ。夜が明ければ、また新しい日常が始まる――けれど、その夜にこそ生まれる特別な瞬間があることは、ぼくがずっと見つめてきた真実でもある。
そう、夜はただ暗く静かで、孤独なだけではない。時には、その闇の中で踊る影が情熱を帯び、思わぬ奇跡を生み出していく。そして、そのすべてを包むように、信号機のぼくはこの交差点で灯りをともす。自分では何ひとつ音を奏でられないけれど、通り過ぎる人の心に眠るメロディや想いを、見守ることだけはできるから――。
街角の小さな世界を見つめる“ぼく”