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【街角の小さな世界を見つめる“ぼく”】昼下がりの交差点に訪れる迷い

昼下がりの空気は、ときに人間の心を優しく包み込み、ときにその背を押してくれる。緩やかな風を感じながら、彼女は異動メールの送信という決断を形にした。そして、それはただ一度のアクションでありながら、これからの仕事や生活に少なからぬ変化をもたらすかもしれない。一方で、送り出した瞬間は、思い詰めた迷いが一旦区切られてすっきりすることもあるだろう。
 この交差点では、そうした「人の小さな決断」が何度も繰り返し起こっている。見た目にはいつもと変わらない風景でも、その一瞬が過ぎたあとには、確かにほんの少しだけ状況が動いているのだ。彼女にも、また新しい景色が待っていることだろう。希望が叶うかどうかはわからない。むしろ思わぬ苦労が増えるのかもしれない。それでも、自分で決めた道を歩く以上は、その先に自分なりの納得や成長があるはずだ。

時間はさらに流れ、やがて午後四時を回る頃には、少しだけ風がひんやりとしてきた。頬を撫でる風が、あの強烈な日差しの下にわずかな変化をもたらす。それに合わせるように、ぼくの周囲にも小さな変化が表れる。さっきまで日差しを遮る場所を探していた人たちが、今は長袖を羽織ろうとしていたり、屋外のテラス席でのんびりとアイスコーヒーを飲みながら雑談を楽しんでいたりする。

大きな交差点ではないけれど、意外といろんな表情が見え隠れする場所だ。子ども連れの家族が買い物袋を下げながら歩き、年配の夫婦が並んでベンチに腰かけている。遮るものが少ない昼下がりは、風景が一望できる分、通り過ぎる人の表情や動作がよく見えるのだ。

ぼくは何十年もここに立っているけれど、町も人の流れも少しずつ変わっていく。周辺の建物が建て替えられ、新しい店舗ができ、住む人が入れ替わっても、通り過ぎる人のドラマは相変わらずだ。慌ただしい朝と夕方の合間に訪れるこんな昼下がりこそ、じっくりと自分に向き合い、決断を下すには意外と適した時間なのかもしれない。

ふと、爽やかな風に乗って、近くのカフェから甘い焼き菓子のような匂いが漂ってくる。濃いめのコーヒーと混じり合って、なんとも言えない気持ちを引き起こす香りだ。こんな風に感じ取れるのは、ぼくに嗅覚があるわけではなく、空気の振動として微かに察知しているからだろう。人へ直接伝えられなくても、こうして五感のうちのいくつかの要素をなんとなく想像することがある。人間にとっては、ごく当たり前に溶け込んでいる匂いや温度も、ぼくの立場からすると新鮮な発見なのだ。

そして、先ほどの彼女のように、大切なメールを打つ姿を久々に見かけると、やはり思う。もしぼくが「赤」だけを灯し続けていたら、もし「青」に変わらなかったら、彼女はまた違うタイミングでボタンを押したのだろうか。それとも、まだ送信できずにためらっていたのだろうか。もちろん、実際にはそんな“もしも”は存在しない。ぼくは定められたリズムでしか光を変えられないし、彼女も自分のタイミングで決断をするしかない。だからこそ、偶然に重なったあの瞬間には、どこか運命的なものすら感じるのかもしれない。

気づけば、もうすぐ勤務先に戻らなければならない時間帯かもしれない。彼女は会社のオフィスビルへと急いでいる頃だろうか。メールを送ってから数分もすれば、「了解した」という上司からの返信が返ってきたり、あるいはオフィスで直接声をかけられたりするのかもしれない。変更が多い部署なら業務量も倍増し、新しいスキルを求められるかもしれない。人間関係の仕切り直しだって、楽しいばかりではないだろう。
 だけど、決断をしたのは彼女自身だ。誰かから「そうしなさい」と言われて形だけ従ったわけではなく、自分の中の迷いに向き合って、思いきって「送信」ボタンをタップした。その事実だけで、少なくとも明日の自分に胸を張れるのではないだろうか。ぼくにはそれで十分立派なことに思える。

やがて、日差しが少しずつ傾き始める。ビルの影が地面を斜めに伸びていき、人々の姿もそこに長く映し出される。昼下がりの穏やかさを残しつつも、徐々に次の時間帯への移ろいを感じさせる光の変化だ。これがもっと進めば、夕方のラッシュアワーが再び交差点を賑やかにする。そうなれば、きっと新たなドラマが始まるだろう。

ぼくに休む暇はないけれど、退屈はしない。通り過ぎる人間の一歩一歩が、高揚や不安、期待や緊張など、いろいろな感情を米粒のように宿しているとわかるからだ。横断歩道を前にしたそのわずかな時間で、誰もが何かを決めたり、考え直したり、あきらめかけていたことをもう一度思い出したりする。ぼくはそれを淡々と見守り、「それぞれの選択肢へ向かう交通整理」を担っているというわけだ。

昼下がり、というだけで人の心は少し穏やかになるのか、それとも焦りが生じるのか――それは人それぞれ。彼女のように“大きな決断”を下す人もいれば、ちょっとした“気分転換”に立ち寄るだけの人もいるだろう。道行く誰もが重い悩みを抱えているわけではない。それでも、交差点の前で信号が青になるのを待つ時間は、嫌でも「立ち止まる」瞬間を与えられる。人間にとって、たった数秒の静止が意外な閃きや決断を生むこともあるはずだ。ぼくはその「止められた数秒」が、密かに人の選択や感情を動かしている場面を、これまでも何度となく見てきた。

日差しが傾きを増すにつれ、またひとり、ふたりと会社員らしき人々が通りに増え始める。昼休みからの帰りが遅くなったのか、営業先から戻っているのか、みなそれぞれにスマートフォンや書類カバンを手にし、少し急ぎ足だ。先ほどの彼女も、この流れの中に紛れているのかもしれない。もう迷いを捨てて、堂々と歩いているかもしれない。そんな想像を膨らませながら、ぼくはまた赤から青へ、青から黄へと切り替えていく。

ずっと変わらない動作だけれど、その合間合間に、通りを歩く人々の人生のページがめくられていくのを感じる。どこかの誰かが笑い合い、どこかの誰かが涙をこぼし、どこかの誰かが意気揚々と未来を語る。ここに来る理由やタイミングはまったく違っていても、この一角を通りすぎる瞬間は必ずあって、ぼくの青い光を意識しているかどうかは別にして、舗道から車道へ足を踏み出していくのだ。それがたとえ五秒の出来事でも、その中に詰まっている想いは計り知れない。

そんな数々の人生に触れ、ぼくは今日も少しだけ胸が弾む。信号機に心があるなんて、誰も思わないだろう。だけど、こうして一人一人の物語を見上げるたびに、ぼくは静かに感動しているのだ。昼下がりの眩しさを借りて、ちょっとした感慨に浸ることもある。一日が終われば、その分だけ人々は前に進む。彼女も、少年も、あの青年も、そしてバイオリンの老人も――ここで立ち止まり、迷いを振り払いながら再び歩き出しては、小さな一歩を次に繋げている。ぼくはその後ろ姿を見送ることしかできないけれど、それで十分嬉しい。

こうして、昼下がりの光は夕方へと移ろい、街の景色もゆっくりと変わり始める。彼女が送ったメールの先には、どんな未来が待っているのだろう。ぼくの記憶には、彼女が青信号になった瞬間、迷いを振り切るように横断歩道へ踏み出し、同時に送信ボタンをタップしたあの光景だけが、くっきりと焼きついている。

決断した人の足取りは、ひときわ晴れやかだ。たとえ不安が残っていても、自分で下した意志は大きい。彼女にとってその“一歩”は、やがて新しい人間関係やキャリアを開くきっかけになるかもしれないし、あるいは思わぬ苦労の種を抱え込むことになるかもしれない。それでも、「あのとき踏み出したからこそ、今の自分がいる」といつか振り返る日が来るだろう。

ぼくはただ、それを見守りたい。今は胸を張って歩く彼女の姿が、何だかとても誇らしく感じられるから。そしてこの交差点からまた多くの人たちが、新しい未来へ足を運ぶのだと思うと、信号機としてのぼくも、ほんの少しだけ居場所を誇りに思えるのだ。

やがて夕焼けが西の空にオレンジ色のグラデーションを描き始める頃、ぼくはまた、次のドラマに備えるかのように赤と青を点滅させる。昼下がりの穏やかな時間はもう終わり、今度は帰宅ラッシュの足音が聞こえてくる。それでもこの一角には、人々のちょっとした決断や迷いがいっぱい転がっているに違いない。少しずつ変わりゆく空の色……その下で、ぼくは変わらず光を切り替え続ける。声も名前も持たないぼくにできることは限られている。けれど、その限られた役目の中で、誰かの背をそっと押す瞬間が生まれたら――それこそが、ぼくにとっての最高の喜びなのだ。

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