ドラマ 短編作品 青春

雨上がりのサンドイッチ

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あの日、公園のベンチで雨上がりの空を仰いだ父子は、その晩を一緒に過ごすことになった。仕事で帰りが遅くなることが多い父親と、大輝が同じ屋根の下で過ごす夜――それだけで、家の中の空気が少しだけ活気を帯びるように感じられる。湿った傘を玄関先で乾かし、互いに着替えてから用意された夕食を囲む。この些細な光景が、大輝にとっては長らく失われていた“家族の匂い”を思い出させた。

父親は鍋を火にかけながら、大輝に「風呂も入ってこい。明日学校だろ」と声をかける。その言葉を受けて、大輝は素直に「うん」と返事をするが、目は父親の動きを追っていた。父親は手早く野菜を切り、簡単なスープを作っている。かつて母親がしていたように感じられ、重ね合わせるような切なさが大輝の胸をぎゅっと締めつけた。

夕食が終わり、食器を洗いながら父親がぽつりと「これから、もっとお前とちゃんと話をしたい」と言う。大輝は「どうしたの? 急に」と少しだけ驚いた表情を浮かべる。父親は水気を拭きとった皿をしまいながら、表情を曇らせるでもなく、むしろ少しだけ決心したような面持ちで続ける。「母さんがいなくなってから、ずっと仕事のことでいっぱいいっぱいだった。今も何かと忙しいけど……。お前がこんなに大きくなったのに、俺は何を見ていたんだろうって思うんだ。これじゃいけないって、あらためて思った」

大輝は思わず「ううん」と首を振った。けれど、嬉しさも悲しさも入り混じったような感情がこみ上げてくる。「父さんだって、生活を支えるために色々頑張ってくれてたし……でも、やっぱりちょっと寂しかったかも」と打ち明けると、父親は俯きながら「ごめんな」とぽつりと謝罪の言葉を漏らした。

家計の不安、仕事上のやりくり――そんな現実的な事情が、頭の中をぐるぐると回る。それでも、不器用ながらも父親は大輝に向き合う時間を作りたいと強く思っている。その気持ちがにじむ声色を聞いて、大輝は心の中に少しだけ光が射すのを感じた。「ありがとう。俺も、父さんと話したいことがいっぱいある」と小さな声で応えると、父親ははにかむように笑った。

夜が更けて、それぞれの部屋に戻ると、窓の外からはしとしとと雨音が続いていた。しかし、どこか吹き抜ける空気が温かい。それは、父親の言葉による安心感なのかもしれない。いつもは押し寄せる孤独が和らぎ、大輝はすんなりと眠りにつくことができた。

翌朝、珍しく快晴の青空が広がっていた。雲の切れ間から差し込む朝日は、昨夜まで降り続いた雨を嘘のように乾かしている。大輝は目を覚ますと、台所から軽やかな物音が聞こえてきた。父親が朝食を準備しているらしい。急いで布団から抜け出し、寝ぼけ眼で台所へ向かうと、父親が「おはよう。今日は早起きしようと思ってな」と照れくさそうに笑っていた。

食卓にはパンとサラダ、そして目玉焼きが並んでいた。簡単なメニューだけれど、父親のハンドメイドであることが大輝には何よりも嬉しい。父親は「あんまり上手くできなかったかも」と言いつつ、大輝の前にバターとジャムを並べ、「好きに使ってくれ」と言う。大輝は「十分美味しそうだよ」と言い、少しもったいない気持ちを抱きながら朝食を味わう。

食後、ベランダで洗濯物を干す父親の姿を見て、大輝はまた少し胸が温かくなる。普段、自分が当たり前のようにしていた家の用事を、父親が引き受けようとしている。雨に濡れたまま放置されていた靴や傘も、父親が丁寧に拭ってくれている姿を初めて見る。大輝はその背中を見つめながら、「こんな日がもっと続けばいいな」と思わずにはいられなかった。

父親は洗濯物を干し終わると、大輝のそばに歩み寄り、「なあ、少し先になるかもしれないけど、勤務形態を調整してみようかと思ってるんだ」と真剣な面差しで口を開く。「いきなり大きく変えられるか分からないけど、休みの日を増やせるかもしれない。夜のシフトを減らしてもらうとか、少しでも一緒にいる時間を作りたいんだ」

その言葉に、大輝は少し目を丸くしてから力強く頷いた。「うん、それが一番嬉しい。学校から帰ってきたとき、父さんが家にいたら、もっと色んなこと話せると思う」と言うと、父親も心底ほっとした表情を浮かべる。「そっか……じゃあ、頑張って掛け合ってみるよ。仕事の都合で難しいこともあるけど、絶対に無理ってわけじゃないはずだから」

――不思議なもので、長らく擦れ違っていた親子でも、こうして言葉を交わすだけで少しずつ糸が解けるように距離が縮まっていく。これまでは、家の中で顔を合わせても、どこか遠慮がちだった。父親は疲れ、息子も父親を気遣いながら本音を隠していた。けれど、雨上がりの空が晴れ渡る朝の光の中で、二人は素直に“自分の気持ち”をさらけ出すことができている。

支度を終えた大輝が玄関で靴を履きながら、「父さん、今夜は遅いの?」と尋ねると、父親は「いや、今日は少し早めに切り上げられるかも。夕飯を一緒に食べような」と言って笑った。まるで当たり前のような会話が、どこか新鮮で、愛おしい。大輝はその言葉を噛みしめるように「うん」と答える。

玄関のドアを開くと、朝の光がまっすぐ差し込み、二人をまぶしく包み込む。雨でしっとりとした空気は消え、風には少しひんやりとした朝の香りが混じっていた。大輝はランドセルを背負い直して、足を一歩踏み出す。振り返ると、父親が手を振って見送ってくれている。その様子は、早朝の澄んだ光の中では頼もしくさえ見えた。

「行ってきます!」そう言い残して外へ飛び出すと、大輝は少しだけ弾むような気持ちを感じる。たったひと晩、父親と過ごしただけなのに、世界が少しだけ明るくなったように思えた。いつだってそんなふうに感じさせてくれるのは、家族という存在なのだと、ぼんやりと頭の片隅で理解しかけている。

家の中に残った父親は、大輝が見えなくなるまで静かに見送り、ドアを閉めた。これから先、決して楽な道のりではないだろう。仕事を減らして収入がどうなるか、生活はきっとタイトになる。それでも、父親の胸には確かな決意が芽生えている。大事なのは、お金だけではなく、息子と共に過ごす時間なのだと。

――雨上がりの空に差す朝日が、これからの二人を優しく照らしている。遠くに広がる青い空を見つめながら、父親は心に静かに誓う。「また一緒にサンドイッチを食べよう。今度は、何気ない日常を少しずつ増やしていこう」。それは大それた夢なんかではなく、けれど二人にとっては大きな一歩となる、まっすぐな約束だった。

こうして“雨上がりのサンドイッチ”が運んできた父と子の小さな奇跡は、新しい朝を迎えながら、そのまぶしい未来へと繋がっていく。

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