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【後編】金曜日の夜、カラスたちは泣き始める

【前編】金曜日の夜、カラスたちは泣き始める
【後編】金曜日の夜、カラスたちは泣き始める

そうして玄関を開けたとき、冷たい金曜日の風が修平の髪を揺らした。外の暗闇には、どこか遠くから不気味な鳴き声の合奏が聞こえる。カラスたちの泣き声が、夜という暗幕を深く揺らし始めているのだ。喉の奥がそわそわと震え、まるで次の瞬間、自分がどこか別の世界へと迷い込んでしまいそうな気がした。

そのまま外へ一歩足を踏み出す。街灯がわずかに照らす路面は冷えきっており、ビルの隙間から流れ込む風が微かな笛のような音を響かせる。あの不気味な鳴き声は、はたしてどこから反響しているのか。思わず耳を澄ませば、遠くにも近くにもカラスの気配が充満していることを感じ取れた。

「行くしかない、か……」

誰にでもなくつぶやきながら、修平は背筋を伸ばす。暗闇のなかで、恐怖と好奇心がない交ぜになった衝動に突き動かされるまま、細い路地へ足を運んだ。いちど逃げ出した路地裏。けれど、その脅威がどれほど異様なものであるかは、もはや目隠しできない。会社帰りに見かけてしまった坂本のプレート、そしてカラスたちの不可解な“誘導”。確かに何かが起きているはずだ。行方不明者が本当にカラスと関係しているのか、その真偽を自ら確かめるしかない――そう思わずにはいられなかった。

夜気を溶かすように、カラスの甲高い声は路地裏の奥へと誘う。わずかな明かりが差し込むだけの道を抜けると、そこはまるでカラスたちの“会合”でも開かれているかのような空間だった。塀の上、電柱、ゴミ箱のふち――ありとあらゆる場所に頭数をそろえた漆黒の鳥たちが身を寄せ合い、その瞳を輝かせている。修平が音を立てるたび、一斉に視線が集まり、まるで人間の来訪を待ち受けていたかのように思える。

そこへ、バサリと羽音を立てて先頭に降り立った一羽のカラス。前にも修平を誘導した個体だろうか。口を開けて「カアッ」と鳴き声を上げると、その残響が塀に当たって路地全体を満たす。すると群れのカラスが次々と小さく、あるいは低く鳴きはじめ、妙な合唱を奏ではじめた。

「なんだ、これは……」

修平は正体のわからない圧迫感を覚え、息を呑む。カラスたちの瞳はどれも、どこか人間じみた感情を秘めているようだ。一瞬、カラスの羽根の陰から、坂本の笑顔がちらついたような気がして、思わず目をこすった。もちろん、姿が見えるはずもない。ただの錯覚だ。だが、その錯覚があまりにも生々しい。

冷たい汗が頬をつたうなか、修平はふと感じた。カラスの鳴き声が、まるで言葉にならない苦悶や嘆きのように響いているのだ。鳥特有の鳴き声というよりも、何か――悲鳴めいたもの。あるいは、警告のようなもの。その不思議なメッセージが、闇を通じて腹の底に染みこんでくるかのように思われた。

すると、路地の奥のほうで、何か金属が落ちるような音が聞こえた。思わずそちらへ目をやると、単なるゴミが転がっただけかもしれない。けれど、自分でもわからない衝動に背を押され、重い足を少しずつ進める。カラスたちは退くことなく、むしろ人が近づくのを黙って見守っているようだ。

やがて、街灯の光が完全に届かない暗闇のなかで、いくつもの光を拾う。スマートフォン、キーホルダー、社員証――そのどれもが人間の生活を感じさせる物ばかり。ひどく薄汚れ、放置されたように散らばったそれらは、見覚えのある社名や名前を含んでいた。修平の会社のロゴが刻まれたものもあるし、他の企業や学校の名札のようなものも混じっている。粛々と、それらをカラスがつつく姿が視界に入り、ぞっと背筋が凍った。

「やっぱり……ここに集まってるのは……みんな……」

口をついて出た言葉の意味を、修平は自分自身でも正確に理解できていない。ただ、これだけの落とし物が一か所に集まり、それを夜にうごめくカラスたちが囲んでいる――それは単なる偶然などではない、と強烈に感じさせる光景だった。心臓は嫌なほど速く脈打ち、この場から逃げ出したい思いと、真相を暴きたい感情がせめぎ合っている。

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