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【後編】予定なき音の旅

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【前編】予定なき音の旅
【後編】予定なき音の旅

翌週末、孝也は香月の車で祖母の家へと向かった。都心から少し離れた郊外の住宅街にある古い一軒家は、彼が幼いころの夏休みを過ごした思い出の場所でもある。築年数がかなり経っているため、外観はややくすんだ色合いだが、庭の草木は丁寧に手入れされていた。ここ数年は祖母も高齢のため施設に引っ越しており、この家は長らく人の気配がない状態だという。玄関の鍵を開けると、カビっぽい空気がほんのり漂い、孝也は懐かしいような切ないような気持ちになった。

部屋の奥に進むと、子ども部屋として使っていた和室がある。襖を開けると、大きな段ボール箱がいくつも積まれ、ほこりを被っていた。孝也と香月はマスクをして、一つひとつ箱の中身を確認していく。古ぼけた写真や古い文房具、学校で使った教材や図工の作品などが次々と出てきたが、目当てのノートや手帳類はなかなか見つからない。そもそも本当に手帳だったのかどうかすら、まだはっきりしていないのだ。「こういう地道な探し物って意外と時間かかるんですよね」と香月がぼやくのを尻目に、孝也は無心になって箱を片っ端からのぞき込んだ。

すると、三つ目の箱を漁っている途中、薄茶色の紙袋が出てきた。その中には、冊子のようなものが二、三冊重なっていて、表紙はどれも子どもの落書きめいたイラストや汚れにまみれている。孝也は「お、これかも」と袋を慎重に取り出し、中身を確認した。それらはどれも表紙が破れかけており、文字というよりはぐちゃぐちゃの絵や不規則な線が散りばめられたような代物だった。が、その中の一冊だけ、見覚えのない硬い表紙が付けられている。発行元や出版社のロゴらしきものもなく、開いてみると、変な図形が乱雑に書き込まれていた。そして、ページの端にはかすかに「タカヤ」という子どもらしい字が書いてある。どうやら、これが噂の“手帳”らしい。

「これだ。“○月○日、○時に~”みたいな普通のスケジュールはどこにも書いてないけど、予言めいた断片が散らばってるね」

孝也が指し示すページには、いくつかの日付らしき数字が並んでいたが、順序がおかしく、未来を表す年号のようなものまで重なっていた。現在の暦と照合してみると「2029年」など、明らかに未来の日付を示すものもある。もっと不可解なのは、“♭”や“♯”に似た記号の横に、一見すると音程を示すような丸印や三角印が並んでいる箇所だ。まるで子どもが五線譜を模して描いたのか、あるいは何かを暗号化しようと試みたのか、とにかく雑多で、素人目にはチンプンカンプンである。

ページをめくるごとに、色鉛筆やクレヨンで描かれた不思議な図や数字が次々と現れた。すでに色あせていて何を書いているのか判読しづらい部分もあるが、中には「チェロ」「弦」といった、音楽に通じる単語の走り書きが確認できる。だが、いくつかの日付やアルファベットの羅列は全く意味を成さず、ただ不規則に散りばめられていた。

「これ、本当に何かの予定表なんですかね。子どものいたずら描きにしか見えないけど……」

香月が首を傾げるのも無理はなかった。だが孝也は、机に広げたその手帳をじっと見つめているうちに、胸の奥に言いようのないざわめきを感じていた。自分が子どものころに何を想い、何を感じながらこれらの図形や文字を記していたのか――その手触りが、まるで昔の思考回路を呼び覚ますかのように、じんわりと湧き上がってくる。夏休みに祖母の家に預けられていた頃、まだチェロの弦を押さえる手には力がなく、音を出すだけで精一杯だった幼い孝也。感覚のままに、自由に線と色を走らせていた。その延長がこの“スケジュール”とも“暗号”ともつかない書き込みだったのかもしれない。

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