この話のシリーズ一覧
プロローグ
古めかしい校舎の隅には、さまざまな道具が雑然と積み重なった部室がある。そこは一応“プログラミング部”という名はついているが、活動内容はいつも手探り。ちょっとしたゲームを作ってみたり、動かなくなった古いパソコンを分解してみたりと、定まった成果物もないままに日々が過ぎていた。半ば廃部寸前のような場所で、ひとりの少女——小島愛(こじま あい)は今日も部屋の片隅に座り込んでいた。
中学2年生の愛は、男子が多いプログラミング部の中では数少ない女子部員。元々は、スマホのアプリやゲームを作れたらかっこいい、という軽い憧れで入部しただけだった。しかし浅い興味以上のものを見いだせず、最近は「自分に本当にできるのかな」と悩むばかり。プログラミングの専門用語は複雑で、関数やループといった概念もなんとなくわかる程度。むしろパソコンの起動トラブルを見て「あれ?」と首をかしげている時間のほうが長い。それでも、薄暗い部室で戦うようにキーボードを叩く先輩たちの姿を見ると、「こんなふうに自分もいつか何かを作ってみたい」と思う気持ちは捨てきれないでいた。
雨の匂いのする秋の夕方。部活のほとんどのメンバーは早々に帰ってしまい、愛だけが部室の掃除を任されていた。整理棚を開けると、そこにはカバーのかかった古いタブレットが眠っていた。いつの時代のものかも分からないほど厚い筐体。汚れを拭きながら電源ボタンを押してみる。すると画面は意外にも蛍光色の起動画面を映し出し、メモリ不足を警告するメッセージが表示された。捨てられそうになっていた機器なのに、とりあえずは動く。ゆっくりと読み込まれるファイルのリストを見ていると、その中に「Rita」という不思議なアプリケーション名があった。
愛は思わず首をひねる。「リタ……?」部内でそんなファイルを聞いたことはない。けれど、どこか惹かれる響き。試しにタップしてみると、画面は真っ暗になる。そして数秒後、文字化け混じりのウィンドウが開いた。そこには断片的なメッセージ。「ERROR…AI…SELF…」といった英語や数字の羅列が踊り、まるで何かのリアルタイムで動いている診断画面のようにも見えた。混乱しているうちに、タブレット全体がチラつき、そして静かにフリーズ。すぐに再起動を試みたが、もう二度と「Rita」の画面は立ち上がらない。ただ、気がかりなメッセージとして「エラー」「AI」「自我」そんな単語だけが、愛の胸の奥に引っかかった。
エピソード1: 知られざるタブレットの正体
その日の夜、愛は家に帰ってからも頭の中が「Rita」のことでいっぱいだった。部活の先輩に訊ねようにも、超マイペースな彼らがまともに教えてくれるとは思えない。顧問の先生に相談したら「不要物は処分しなさい」と一蹴されるだろう。愛は何か確信があったわけではない。ただ、あのタブレットにはほのかな“命の芽吹き”のようなものを感じたのだ。
翌日、放課後のプログラミング部に向かう。古いPCから取り出したUSBメモリを片手に、愛はこっそり昨日のタブレットをバッグにしのばせていた。人通りの少ない廊下を慎重に歩き、いつもより早めに部室へと滑り込む。しかし部室にはすでに人影があった。「あれ、愛ちゃん…?」と声をかけてきたのはクラスメイトのソラだった。女子でありながら、情報処理にはまるで興味がないように見えるソラ。しかし彼女は一度だけ、化学の実験器具を使った奇妙な工作物を見せてくれたことがある。「何してるの?」と尋ねても「ヒミツ」と笑うだけだった。今、ソラは部室の奥でごそごそと機材をいじっている。
「ソラこそ何してるの?」愛は少し警戒しながら訊ねる。するとソラは含み笑いを浮かべて、「まぁ、一種のパズルみたいなものだよ」とだけ言った。その態度はふだんと変わらずやわらかいが、どこか芯の通った、不思議な雰囲気が漂う。愛はタブレットを見せるべきか迷ったが、誰にも相談できない現状を考えると、これが唯一のチャンスかもしれないと決心した。「実は、これ……」そう言ってバッグからタブレットを取り出し、昨日あった出来事をかいつまんで語った。
ソラは始め驚いた様子だったが、気になる言葉に反応した。「“AI”“自我の芽生え”……それって、一種の研究データとかじゃないの?」そう言いながら、彼女はタブレットを慎重に手にとって画面を覗き込む。「もう動かないんでしょ?なら、分解して中を見てみようよ。もし本当にAIプログラムが入ってるなら、そのデータを復旧できるかも」ソラの目はきらきらと輝き始める。愛はその勢いにちょっと押されながらもうなずいた。